未来に向けて霊的遺産を残す(63歳から67歳:1940~1945年)
写真でたどるエドガー・ケイシーの生涯
エドガー・ケイシーは46歳まで職業写真家であったために、戦前の人には珍しく多くの写真を残しています。ここではそれらの写真の中から、エドガー・ケイシーの生涯を跡付けるのにふさわしい写真を何点か選び出し、当時のエピソードを交えながらケイシーの人生をたどって見たいと思います。説明文の中で( )内の数字はリーディング番号を表します。※ 写真クリックしていただければ拡大表示されます。
リーディング能力の目覚め(誕生から45歳:1877~1922年)
拡大するリーディング能力(46歳から62歳:1923~1939年)
未来に向けて霊的遺産を残す(63歳から67歳:1940~1945年)
未来に向けて霊的遺産を残す(63歳から67歳:1940~1945年)
第二次世界大戦の勃発はアメリカにも暗い影を落とし始めていた。この写真は1940年の夏に撮られたものである。

新婚間もない頃のヒュー・リン・ケイシーとサリー・テイラー・ケイシー(右端)。

コンサートの歌手であったリディア・スクレイダー・グレイは、ライフリーディングによって霊的真理を教える教師、講演者となる才能があると告げられた。ケイシー没後、彼女はグラディス・デイビスを助け、彼女の働きによってA.R.E.は形を整えていった。

エスター・ワインは最初のスタディ・グループのリーダーであり、『神の探求』は彼女によってまとめられた。

エドガー・ケイシーの人柄がよく現れた写真としてさまざまな出版物に掲載されている一枚。このWebサイトでもいろんな箇所でこの写真を使用している。

ケイシーと談笑しているのは神学者ハーマン・ブローである。母親がケイシーに心酔しているのを知って、ケイシーのいかさまを暴いてやろうと息巻いてやってきたが、ケイシーに会うや、ケイシーの人柄にすっかり魅了され、ケイシーの強力な擁護者となった。迫力あるスピーチで、生涯にわたってケイシーを伝えた。

エルセ・セクリスト(2982)はケイシーの夢解釈によって当時婚約していた男性との結婚を思いとどまり、その後、別のすばらしい男性と結婚。ケイシーの夢解釈リーディングの恵みを体験した。ケイシー没後、夢解釈リーディングを探求し、夢の活用法に関する著書やレポートを精力的に発表する。

隣接するカトリック教会から撮影したケイシーの自宅兼A.R.E.オフィス。こちらのカトリック神父はしばらくリーディングに不審を抱いていたが、所属する有力信徒がリーディングで救われたことをきっかけに、交流するようになった。

4人の妹たちと揃って撮ったものの中でおそらく最後の写真である。上段左手にいるのがメアリー、中央がケイシー、右がサラ、下段左がオラ、右がアニーである。1942年の夏に撮影されたもの。

原画はカラースライドとして撮影されたもの。日付は1943年になっている。A.R.E.のパンフレットにも長く使用されていた写真であり、ケイシー夫妻がそろって遠く未来を見つめるようなポーズがとても印象的である。

エドガー・ケイシー、ヒュー・リン・ケイシー、そしてチャールズ・トマス・ケイシー(2824)と、三世代のケイシーが揃った写真。ドイツに出兵前のヒュー・リン・ケイシーは軍服に身を包んでいる。

エバンス・ケイシーがキャスリンと結婚したことで、ケイシーの二人の息子たちはそれぞれ家庭を持つことになった。ケイシー夫妻にとっては大きな慶びであっただろう。この写真は三家族が揃った最後の写真。

トマス・サグルーの著したケイシーの伝記によってケイシーの名は全米に知られることになり、ケイシーは体力の限界までリーディングを取り続けた。これはケイシーが卒中で倒れる2ヶ月前の1944年に撮られたものとされる。ケイシーの深い疲労がこの写真からも感じられる。感謝祭の日に静養先のフロリダから帰り、翌年1月3日に天に召された。そして、その後を追うように、復活祭の日の4月1日に、妻のガートルードも天に召された。

ケイシー夫妻は、二人の出身地であるケンタッキー州ホプキンスビルの墓地に埋葬された。そして、この墓地には地元出身の偉大な霊能者を讃える記念碑が誇らしく立っている。こうして波乱に満ちたエドガー・ケイシーの生涯は幕を閉じたのである。
